本日も、泉田市民館での修練。明るい日差しは有るものの、冷たい空気の流れる冬の気候の中、鍛錬に励みます。
今日も数名の欠席・遅れての参座の連絡を頂いていましたので、作務の時間が長くなりそうだと思い、多少早めに出向いたのですが、予想よりも早く他の人が参座してくれて、また意識的に自分からやる事を探して動いてくれたので、少ない人数でもスタートの時間に余裕をもって間に合う事が出来ました。一つ一つの行動において、「自ら意識する」と言う事を自然と出来る様になって貰いたいものです。
基本演練では、開足中段構からの振身や足捌き、各種受けを試します。それぞれの人の履修する科目にも共通する内容ですし、土台を練り上げる効果も有ると思いますが、「ただ手足を動かすだけ」に成ってしまう人も多いもの。「運動する事自体は、無意味ではないか」と思いつつ、如何にして理法を伝え、理解・実践して貰おうかと、苦心します。ただ、級が上がり教わる法形が多く成れば成るほど、先程の基本演練の内容とほぼ同じ動きだなと理解しやすい様ですので、長い目で見て付き合っていきたいところです。
学科・法話の時間では、今週火曜日・木曜日にもした同じ話を。現在、私がある「習い事」で技能習得を試みているのですが、平日の仕事明けの修練日以外に何とか時間を確保して行う為に、より充実した取り組みにしようと、ポイントをノートにまとめて実際の時間より小1時間早く場に向かい、ポイントを確認し、イメージトレーニングをしながら取り組んでいます。それでも「センスの無さ」からスムースに習熟度が挙がらないのですが、これで予習復習をせずにその時間を迎えたら、目も当てられない状態に成る事でしょう。これは、普段皆に伝えている「ポイントを科目表にメモして、参座する前に一度目を通しておく様に」と全く同じ事でしょう。その事と、「学ぶ姿勢」を整える事の大切さと、一連の流れの中で関わった方から、損得勘定抜きで他者の為に行動出来る人の存在への憧れを再認識させて貰えましたので、その事を説きました。ほとんどの人にとっては、「2回目の話」でしたが、何を掴み取ってくれたでしょうか。
キックミットを使用の当身を経て、鎮魂行を。打棒役も希望者にやって貰いましたが、今日の希望者の小5緑帯のA君は、事前に持ち方や通るルートを説明していても、いざ自分がやる瞬間に成ると、全く正反対の方向に行こうとします。自分の状態を客観的に確認して考慮する事や、そこにそれまで教わった事を加味して自分で判断すると言う事が苦手なA君。「この程度の事でも出来ないか」とガックリ来つつも、改めて皆に通るルートと、「何故、そこを通るのか」の理由を説明しました。A君も「そう言う事か」と気付いた様な表情をしていましたので、次の機会の時に覚えていてくれると良いですね。
休憩後の自由練習では、グループ分けして法形の習熟に励みます。緑帯以上の人達は、A君の年明けの少年五級受験に向けて、それ以下の人達には、基本演練で行った「天地拳第一系」の相対を行います。自分が受験の当事者であり、最も真剣に取り組まなければいけない立場であっても、それに適した取り組みはしないA君。時折り冷たい視線を突き刺し自覚を促しますが、それを「自分の目」で呼び起こして欲しいものです。
後半、グループ分けを変えて、それぞれの科目に移行しますが、小2白帯のA君は未だに足幅や身体の向き、拳の高さが定まりませんし、相対で行っている時も、基本的に相手を観る事はありません。私自身が相手をして、「相手を観る!」、「突く場所はここ!」と都度修正して徐々にレベルは挙がりますが、相手が変わるとその相手に合わせると言う事は意識出来ません。横に付いて「相手を観る!」、「突く場所はここ!」と同じ事を伝えますが、「やってるのに~」と半泣きです。「現状ではここまでか」と思いつつ、「びそびそ泣くな!」と叱咤して、手を添えて修正しながら続けさせます。最後までやり切らせた後に「出来たじゃないか~!もっと自信もってやれよ!」と伝えて休憩させると、その後は割りと意欲的に行っていましたが、これを自分で整えるまで自分の意識を高めて欲しいものです。
その間相手をしていた小3黄帯のA君は、普段自分がダラけて叱咤され泣かされている立場ですので、それを目の前で見て、自分が手本を見せ励まさなければいけない状況で、そこそこしっかり取り組んでいました。これが、自分一人で自分を高める取り組みをしているのと違う、集団の中での切磋琢磨の良さなのだろうと改めて思い、締めの気合い出しもビシッと決めて帰路に着きました。