2023年1月理事長通信

合掌

2/1付の朝刊に詩の一節が紹介されていました。交流サイト(SNS)で評判になったという育児が題材の詩だったらしいのですが、今国会で岸田首相の答弁が反発を招いた「育児体業中のリスキング(学び直し)」答弁に対するコメントとして掲載されていたので全文を調べてみました。

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「最後のとき(The Last Time)」
赤ちゃんをその腕に抱いた瞬間から あなたはこれまでとは全く違う人生を生きる
以前の自分に戻りたいと思うかもしれない
自由と時間があって 心配することなど何もなかったあの頃の自分に
今まで経験したことがないほどの徒労感 毎日毎日まったく同じ日々
ミルクを与えて背中をさすってやり おむつを替えては泣かれてぐずられて嫌がられて
昼寝をしすぎてもしなくても心配で終わることのない永遠の繰り返しに思えるかもしれない
だけど忘れないで……
すべてのことには、「最後のとき」があるということを
ご飯を食べさせてやるのはこれが最後、というときがやってくる
長い一日のあと子どもがあなたの膝で寝てしまう
だけど眠っている子どもを抱くのはこれが最後
子どもを抱っこ紐で抱えて出かける だけど抱っこ紐を使うのはこれが最後
夜はお風呂で髪を洗ってやる だけど明日からはもう一人でできると言われる
道を渡るときには手を握ってくる だけど手をつなぐのはこれが最後
夜中こっそり寝室にやってきてベッドにもぐりこんでくる
だけどそんなふうに起こされるのはこれが最後
昼下がりに歌いながら手遊びをする だけどその歌を歌ってやるのはこれが最後
学校まで送っていけば行ってきますのキスをしてくる
だけど次の日からは一人でだいじょうぶと言われる
寝る前に本を読み聞かせて汚れた顔をふいてやるのもこれが最後
子どもが両手を広げてあなたの胸に飛び込んでくるのもこれが最後
だけど「これが最後」ということはあなたには分からない
それがもう二度と起こらないのだと気付くころには すでに時は流れてしまっている
だから今、あなたの人生のこの瞬間にも たくさんの「最後」があることを忘れないで
もう三度とないのだと気付いてはじめて あと一日でいいから、あと一度きりでいいから、と切望するような“大切な「最後のとき」があることを”

※作者不詳

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“詩に教わるまでもなく「最後のとき」はどんな政権にも来る。子は急に育たず、子育ては全てが突然終わつたりしないが、権力の寿命は予測が難しい”と朝刊では結んでありました。
振返って私たちの活動に当てはめてみると、その時々の課題・難題に持てる力を結集して精一杯取り組んできた結果として今があります。そして精一杯のその背中を見て次代の人材が育って取り組みを継承していくという循環が組織を永続させる原動力となつていくのだと思います。しかし、世界的な企業であっても世代交代はより難しいミッションでしょう。比較の範疇にあらずですが、 “世界の卜∃夕”しかり“世界の日本電産”しかりなのでしょう。
さて、先日の所属長会議でもお話ししましたが、来月末をもって県連役員任期満了となるため規約に基づき役員改選が行われます。まさに“比較の範疇にあらず”ですが、別の意味で工ネルギーを要する仕事ではあります。
もう一つ。先月22日(日)に名鉄グランドホテルにて県連新年会を開催させていただきました。コロナ禍ではありましたが、岐阜県の青山教区総代をはじめ県内からは50名以上の所属長がご参加くださいました。会場もゆったりと使用することができ、久しぶりに会話が弾んだようでした。遅くなりましたが、ご参加くださいました所属長各位にあらためて感謝申し上げます。

※忌憚のないご意見を県連事務局にお寄せください。

2023.2.1
愛知県少林寺拳法連盟理事長  多月  文博
(愛知県UNI丁Y運営委員会委員長)




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