合掌
205の国と地域が参加した“Rio2016オリンピック”が、世界に多くの感動を与えて閉幕しました。舛添前東京都知事が執着を見せた次期開催国への「フラッグハンドオーバーセレモニー」は、雨の中、就任間もない小池百合子・東京都知事が着物姿で無事に務めました。リオ・オリンピックは開催前から運営面と政治情勢の不安から開催が危ぶまれていましたが、何とか無事に終えられたことで関係者もホッとしているところでしょう。特に、日本選手団の活躍も見事で、閉会式での次期開催地としてのパフォーマンスもネット上では高評価を得て絶賛されるなど、2020年の東京開催に向けて弾みがついたのではないでしょうか。ふと気がつけば、連日酷暑に見舞われている日本列島も暦の上ではすでに秋。ほぼ同時進行だったオリンピックと夏の甲子園が閉幕して、気持ち的には一気に夏の終わりを感じます。一方、わが財団の行事も7月最終週にインターハイ、8月第1週には少年少女錬成大会、第2週には全国中学生大会と、夏休みにしかできない行事が続きました。加えて県教区研修会に道院合宿と、自分自身が体感する時間経過は一週間単位なので余計に気忙しく感じられます。社会に目を向けてみても、東京都知事選、イチローの3000本安打、広島・長崎の原爆の日、天皇の「生前退位」に関するご意向表明等々、世の中の目まぐるしい移り変わりに対して“理事長通信8月号”も何度かの書き換えを余儀なくされ、ようやくここに至っています。
さて、2018年度から小・中学校の「道徳」の時間は順次、正式教科に格上げ(特別教科化)されていきます(小学校は2018年度、中学校は2019年度)。現在、年間35単位時間の道徳教育が行われていますが、学校や先生によって指導内容や指導方法に差があると言われています。格上げ後は先生が検定教科書を使って授業を行い、他と較べることなくそれぞれの子供の成長を評価していくことになります。情意や信念、態度、行動等を含め人格を形成する道徳性はどうすれば養われていくのかという指導する側の課題がある中で、ある意味では数値化が最も難しいとされる情意性をどう判断していくのでしょう。先生の評価として果たして公平性が担保されるのでしょうか?そもそも“心”を評価できるのでしょうか?先生は生徒一人ひとりと分け隔てなく信頼関係を築くことが可能なのでしょうか?・・・等々、実施に対しての疑問は尽きません。企業における社員の人事考課で重要項目として挙げられるのが、成果や業績に関する「業績考課」、知識や能力に関する「能力考課」、そして、行動や態度に関する「情意考課」です。業績や能力は判断材料が具体的なのに対し、“情意”については評価が大きく分かれる場合があります。評価する側の“好き嫌い”も判断材料として含まれてくるからです。授業中に子供がその場の空気を読んだり、先生の顔色をうかがうようなことになれば真の評価は下されません。同じ尺度で測ることができない、むしろ測るべき対象ではないと思っています。道徳の教科化論議は、大津市での“いじめ自殺”を契機に加速したと言われます。子供の道徳性の欠如にその原因を求めるのではなく、結びつきが薄くなった地域、経済格差が広がる社会環境の変化、国会議員をはじめとした政治家の相も変らぬ金銭疑惑等々、現在社会にはびこる不道徳な環境の改善こそが優先されるべき課題なのではないでしょうか。“不登校”や“いじめ”問題に対し、私たちの地道な取組が果たせる役割があると確信しています。子供たちにとっての“居場所つくり”は、傷ついた羽を休めて力を蓄える場所となります。そんな活動を目指し続けなければなりません。
再拝
2016 年 8月 28日
愛知県連盟理事長 多月 文博