合掌
ゴールデンウィークが終わり、街にいつもの喧騒が戻ってきました。桜の季節があっという間に終わり、木々の緑もやさしい黄緑色からしっかりとした緑に変ってきました。ハワイ島キラウエア火山の噴火をはじめ、このところ世界的規模で起こっている自然の猛威に成す術を持てないこともあわせて人知の及ばない世界を今更ながら感じます。北朝鮮の核開発問題を巡って国際情勢が大きく変動しようとしている一方、大型連休を挟んで国内では相変わらず政治の停滞が続きました。「当たり前のことが当たり前に行われない」この国の病巣は底なし沼のように深く感じてしまいます。“自分さえよければ良い”“目的達成のためには手段を択ばない”“ばれなければ何をやっても許される”“異なるものを認めない”等々、国権の最高機関で議論される内容も閣僚をはじめ行政府の要職者の発言も耳を疑うことばかりです。「人としていかがなものか?」大袈裟かもしれませんが、この国の品格・品性が問われる危機的な状況を招いているようにさえ思ってしまいます。「良いことは良い、悪いことは悪い」と言うことは勇気もいるしリスクも伴います。しかし、それぞれの立場で“何のために”という部分に照らし合わせて答えを導き出していかなければならないのではないでしょうか。
昨年来、80年も前に書かれた1冊の児童書が大きな話題を集めています。戦前、岩波書店で日本初の新書≪岩波新書≫を立ち上げた吉野源三郎著の『君たちはどう生きるか』です。軍国主義による閉塞感が高まる1930年代に文学作品としてではなく、旧制中学校の生徒に向けた倫理についての本として書かれており、教養論として世に出されたようです。そんな児童書が80年後の今、なぜ人の心を捉えるのでしょうか。人間としてどう生きれば良いのかを読んでいくうちに自然と考えるように書かれているところが子供はもちろん多くの大人たちにも共感を持って迎えられたのではないか。いじめに対する“勇気”や“貧困と格差、教養”といった現在社会にも通じるテーマに真摯に向き合う主人公の心の葛藤、そして生き方の指針に対する言葉が数多く示されているところが共感を呼んだのではないかとも評されています。
『動機善なりや、私心なかりしか』「京セラ」「KDDI」などを設立された経営の神様・稲盛和夫氏の経営哲学の一つです。常に自問自答して“動機”の善悪を判断し、過程においては“プロセス善なりや”を問い、常に“私心なかりしか”を問いかけ続ければ自ずと結果は問う必要のないものとなるということです。氏は現役であった80代初めまでこの言に照らして日々反省を繰り返されていたと言われています。『誰にも負けない努力をする。謙虚にしておごらず反省のある毎日を送る。生きていることに感謝する。善行、利他行を積む。感性的な悩みをしない。』という「6つの精進」を説かれ、多くの教訓が述べられていることは今更説明には及ばないことです。稲盛氏は、日本人に今求められていることは「人間は何のために生きるのか」という最も根本的な問いかけに真正面から向かい合うことだと述べられています。大きな話題を集めている80年前の児童書、稲盛氏の哲学。言葉は人生をも変え得る力を持っています。まさに開祖の言葉と重なります。私たちが引き継ぐべき「開祖の思い」。かくありたいものです。
県連定期総会、愛知・岐阜・三重の三県合同武専を終えてホッとする間もなく全国中学生大会並びに全国大会少年の部の代表選考会、そして愛知県大会へと県内行事が続いていきます。その間にも県高校総合体育大会(インターハイ予選)や東海学生大会等も順次開催されます。私自身にとっても県連運営に携わって20年以上にわたって毎年関わっている行事ですが、満足のいく運営ができた記憶はほとんどありません。毎回毎回100点満点を目指して取り組んではいますがその都度課題が残る結果となってきたような気がします。参加する拳士のため、そして少林寺拳法を生涯修行として永続して取り組んでもらえるように運営責任者としても謙虚にそして精一杯の努力を積み重ねていきたいと思う毎日です。
2019年11月23・24日、豊田市にある「スカイホール豊田(豊田市総合体育館)」にて15年ぶりに全国大会を主管することが決定しています。愛知県の総力を挙げて取り組んでいかなければなりません。引き続きご協力をお願いします。
※少林寺拳法“グループ愛知”ポータルサイト構築計画に伴い以下のサイトが立上っています。
(愛知県連盟サイト:https://shorinji-aichi.jp/wp/kenrenにて紹介)
■11支部サイト掲載(スポーツ少年団・大学・実業団)
(愛知県教区サイト:https://shorinji-aichi.jp/wp/kyoukuにて紹介)
■54道院サイト掲載
再拝
2018 年 5月 10日
愛知県連盟理事長 多月 文博