本日は、専有道場からのスタート。2月にしては珍しい暖かさに恵まれた中、鍛錬に励みます。
今日は副道院長のNさんが、長女のRちゃんの大学受験が終わるまでの参座を控える為に欠席。移動の車の手配が難しければ、道院修練を延期するか中止するかも視野に入れていましたが、普段土曜日の午前中にテニスを習っていて、なかなか専有道場に来られない小5白帯のA君が参座出来る事もあり、保護者の方の送迎への協力も得られたので、そのまま今日行いました。
皆の集まりも良く、作務の進み具合も良いのですが、何か全体的に浮ついた意識の散漫さが伺えます。「何かやる事が無いか、自分で探そうか」と常に伝えていますが、やはり何もせずに動きを止めてしまう人や、おしゃべりに夢中になる人も居ます。そんな中でも、「自分から動こう」と意識して動いているのが、小6茶帯のHと小4緑帯のE君。頼もしくも有りますが、彼らが動けている事に虚しさを感じない様に、気を付けなければいけないなとも思います。
今日は、鎮魂行や学科・法話の時間の撮影係を、「やりたい!」と志願した小3黄帯のA君に御願いしました。普段集中力も意欲も無いA君ですが、「自分から言い出したのだからやらせてみよう」と任せると、鎮魂行の最中に皆の周りを高速で走り回って写真を撮ります。その音が邪魔に成るほどでしたが、撮った写真のアングルはなかなか良いものが多かったのは意外でした。その後、デジカメを手放した瞬間から指をいじくって遊び始めるのですが、何かきっかけがあれば良い方向に向くかなとも期待させる様子でした。
場を変えて、易筋行を。今日は先週やろうとしてやれなかった「理法の探求」の時間を取りました。「逆小手」と「送小手」の2種類の投げ方のポイントだけを抜き出した動きを、掛けられ役も協力して行います。ただ、そもそも原理だけでも簡単ではない動きを、そのポイントの説明を集中して聞けない人が実に多いですね。そこを前提にして進めないと、着実な進歩に向けた第一歩すら歩めないと言う事でしょう。それでも繰り返している内に進歩していく人も居ますし、それまで行っていた「逆小手」や「送小手」が新化した人も居ます。そこを目指して、粘り強く取り組むだけですね。
この原理の練習の最中に、ホワイトボードに書いて説明したのが、「自分が全力で取り組めば、良い結果が約束されていると思うのは、ちょっとした勘違い」と言う事です。「まずは、自分を進歩・成長させる為に、全力で一生懸命取り組むのは当たり前で、それすら出来ない人は話に成らない。ただ、一生懸命取り組めばそのまま良い結果に成るのではなく、良い結果に繋がる行いをやらなければ、良い結果は出ない」。特に柔法は、相手を無視して一生懸命に動いても「型」が成り立ちませんし、それは人間関係や社会生活でも同じ事でしょう。そんな悦明をしていると、ちょっと理解出来る様になっているであろう人達は、「面倒くさそうだなぁ」と言う空気を出していましたが、何か将来的にプラスに成ってくれると良いですね。
16時過ぎに、発明クラブ明けの小2白帯のA君が到着。「理法の探求」はA君にはハードルが高いので、逆にA君が休む日や遅れて参座する日を選んだのですが、普段説明をほとんど聞いていないA君も、「人を殴る」・「人を投げる」と言う格闘的な行いへの意欲は非常に高いものがあります。一歩間違えれば金剛禅の人造りと真逆になってしまいますが、その瞬間だけは意欲的に楽し気に取り組みます。専有道場での学科・法話の時間にも話した事ですが、「集中力の有る人は、一生懸命やれる。それと好きな事に対しては、誰でも意欲的に取り組める。だったら、目の前の行いが好きじゃなくても、興味と関心を持てば意欲的に取り組めるでしょ」と話しましたが、A君にもそんな「知恵」を身に付けて欲しいと思いましたし、投げ技の練習やキックミットを使用しての当身が楽しかったのか、作務の時間のA君はいつもと違って、自分からやる事を探していました。